日本住宅の建替えサイクルは平均24年

多くの方は「そんなに短いの?」と思われる事でしょう。童謡”背比べ”にある様な柱の傷は、その子が大人になった時にはもう無いのです。そうなった理由はいくつかあります。戦後の家族形態の変化、高度成長期やバブル経済期の経済水準の向上etc、一番の理由には国の定める減価償却制度があります。ここで木造住宅の消却対応年数を22年と設定しているからです。それを基準に経済が動きますので、「そろそろ建替え時期ですね」となってしまう訳です。建物全般の減価償却設定制度は日本だけのものです。RCやSRCでさえ47年の法定対応年数が設定されています。建設省が行った建物の解体サイクル調査でも、日本 30 年、米国 103 年、英国 141 年と大きな差が有りました。アメリカやイギリスは建材が良い?、台風や地震が無い?そんな事は有りません。”人の意識”だけの問題です。適度な環境において使用される木材自体の寿命は凡そ500年と言われています。セメント(コンクリート)においては2,000年前の古代ローマ時代に建造された神殿やコロッセオ、地下水道として現存(地下水道は現在も活用)しています。※但しローマンコンクリートのため、現在のコンクリートとは異なります。

要は建築時の何時迄使うと言ったプランと日頃のメンテナンスさえ怠らなければ、建物もインフラもハウスメーカさんが提唱する100年住宅、100年使用は充分可能な事なのです。

江戸時代、定期メンテナンスを怠ったために起こった大惨事がありました。永代橋崩壊事件です。

築後20年足らずの木造橋でしたが質素倹約を進めた吉宗将軍率いる幕府が、メンテの費用を惜しみ取り壊しを決定しました。しかし、界隈の住民から不便を理由に存続の嘆願が出されたため、「じゃあおまえらが管理しろ」と言う事で幕府は管理から逃げてしまったのです。町人達は今で言うところの管理組合的な組織を作り自前で部分修繕を行っていた様です。ところがそんな折富岡八幡宮の深川祭りに集まった群衆1,500人が橋の上で大渋滞。大規模修繕が行われていない基礎部が劣化していた為に彼等は橋と共に崩落し犠牲になりました。

建造物は24年とか40年とか言っておけば、万が一事故が起こった時「御上」の責任じゃないと言える訳ですから、そう言う点では吉宗思想が現在もはびこっているわけですね。

余談になりすが、吉宗と対象的な人物に宗春がいました。彼は財政の立て直しは質素倹約でなく、楽市楽座の様な人と金を集めそれを流動させる事だと考えた人です。

彼が将軍になっていたら橋の管理修繕が行われ、悲惨な事故も起こらなかったかも?。



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